蟻目線

変わり者、一線越えた人間について考えていた。

たまに考える事がある。
犬を飼っている。12年以上付き合いのある犬。
彼女を私が殺めて、調理して食べでもすれば一線を越える事が出来るだろうか。一応の結論は出た。
一線を越える事は出来るが、私は少し時が経てばまた線の内側に戻ってしまう、と。
泣いて、後悔して終わる。
たまに犬を母の友人に預ける。いない時は視界の端に幻覚が映ることがある。
その幻覚を見てまた涙ぐむ。
殺しても、勝手に死んでもそうなると思う。
繰り返しの中で気が違って、向こう側へ行けるとも思えなかった。
本当にくだらない事を考えている。


四日前に保護観察者の人が家にきた。
五十代前半の男性だ。
一ヶ月に二度、訪れて少し話をする。
その人が「僕は変わってるでしょ」と言った。
携帯の話になり、携帯を持っていると束縛されているようで気分が悪いと、持たない自分は変わっていると、得意気にそう言っていた。
私はその人を見下した。結構早い段階で無意識に見下していたかも知れないが、自覚的に。

確かにこの便利な世の中、十代の若者が携帯を持っていないという話なら少しは変わり者だと感心もするが、それが五十代の人間なら話は別だ。

普段、私はその人に対して無言を決め込んでいる。
そうすると早く帰ってくれるからだ。
しかし、その日は少し噛みついてやろうという気持ちになった。
変わり者について考えていた、悩まされていた私には必要以上にその言葉が癪に障った。

結果は逆効果だった。
以前まで終始無言だった私が話しに乗ってくるので気を良くしたのか、とんだ長話になってしまった。
聞きたくもないアマチュア無線の話を聞いた。
アマチュア無線は赤の他人と話ができる物らしく、資格も必要と言っていた。
似たような物で「斉藤さん」というアプリがあるのだが、相手が嬉々として話している手前、気を遣い話さなかった。
いつもは三十分程度で終わるのだが、その日は一時間以上付き合う羽目になった。
話さなかった事は後悔している。

そのアマチュア無線で仲良くなった友人と林檎狩りへ行ってきたようで、林檎を二つ貰った。
林檎はヘタがないと商品としての価値が下がる。
その林檎二つはしっかりヘタがついており、付くように収穫するのは難しかったと、得意気に話していた。
林檎は甘くて美味しかったのでまあ良い。


どうして「変わり者とは何か」などと考え事をしていたのかというと、昔から特別視していた人がいて、その人から魅力、特別性を見失ってしまったからだ。
今回は彼について書こう。
分かってる。前置きが長いなんてこと。

呼び名は佐藤(仮名)とする。活動を始めて3人目に話した。
個人的な話になると質問をしても素直に答えず、なかなか手強かった記憶がある。

何に起因するのかは聞けていないが、佐藤は俗に言う処女厨だ。
結婚の話になった時に白状していた。
聞くと、仲の良い相手がおり、互いに将来を誓い合っているようだった。
佐藤と私は同年代で、既にそんな未来の事まで考えているのかと、少し懐疑的な気持ちを抱きながらも感心した事を覚えている。

そこまで相手を大事に思っているのかと尋ねると、「俺っちは一途だからよ」と言った。
たまに照れ隠しで一人称を変える。

以前の彼は時折不安定になることがあった。
一度だけその不安定な時に話をしたことがある。
その時はペンを机に叩き付けながら奇声を発したり、芸人の一発ギャグを脈絡なく会話に放り込んできた。
私が「うるさい」というと、少し笑った。

次話す時にはもう大学へ入っており、生徒の8割が女子で毎日退屈だと嘆いていた。
佐藤が退屈な人間になったのは、個人的にこの環境が原因だと考えている。

三年来の友人で、今では見る影もないが、一年近くは羨望していた。
私が彼以上の人、数人と繋がりを持ったということもある。
佐藤は中身がある風の言葉をその場その場で恥ずかしげもなく吐くことができる。
その言葉には、彼の内側から絞り出された思いが乗っているのだろうと幻想を抱いていた。それも違っていたようだ。
ホストをやりたがっていたから、自覚はしているのかもしれない。
佐藤について他の人に話すとその人は「大人になったんだろう」と言っていた。
考えないでいられるようになる。脳死
そうかもしれない。

私が小学校に入ったばかりの頃、祖母が他界した。
葬式は人が沢山来ていたのと、隣で泣く姉と母しか覚えていない。私は泣かなかった。
それからすぐお花見することになり、私は他の子と一緒に桜の木に登って遊んでいた。
母はヤケ酒をし、親族もいる場であられもない姿を晒していた。
その姿を見た幼い頃の私は、何故だかとても母に対して怒りを覚え、落ちていた桜の木の枝を持ち、酔っ払った母の後頭部目掛けて降り下ろした。

強めに降り下ろしたはずなのだが、当時の私はとても非力だったようで、私に気付かず、母は談笑しながら酒を飲んでいた。

佐藤について書いていたら思い出した。
気持ちとしては、少し似通ったところがあるのかもしれない。

酷くぼんやりしている。
とても文章を書けるような心情ではなかったが、書いておかなければいけない気がした。
私の嫌な部分が沢山でてしまった。
心が荒みきっている。

近頃犬の手術がある。
死なれても、しっかり向き合って悲しめる気がしない。
今の私から流れる涙は恐らく潔白ではないから、もう少しだけ生き存えて欲しい。